(前編を先にお読み下さい)
もっと北、例えば伊那市あたりでローメンを食べて戻ってくるというのも
アリかなあと思ったものの、観光して帰ってくるには少々時間が足りない。
何といっても特急や快速ではなく、各駅停車に揺られながらの長旅なので
これ以上乗車時間を増やすのは結構厳しいものがある。
ということで、さっき通過した飯田市まで戻り観光することにしました。
時刻表を確認「ええと、次の電車は・・・と」
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次の電車は12:10発。
さっき街なかを一周してきたのにまだまだ30分も駒ヶ根散策が楽しめるよー
とポリアンナ並みのポジティブ思考でもうひと歩き。
その街の雰囲気を感じるにはやはり市街地を歩くのが一番。
地元と違い日曜休業の店が多いようでちょっと残念でしたが、安楽寺というところで
子育で地蔵尊例大祭というのがやっていて参道は子供連れで賑わっていました。
(「産道通過体験」は見てみたかったかも)
りんご畑(車内から撮影)
無事電車に乗り込み、飯田に着いたのは1時半頃。 今度は事前に時刻表をチェック。4時22分発の電車で帰ることにします。 駅の隣に観光案内所があるので2~3時間程で回れるコースをきいてみると ・飯田城址 ・りんご並木 ・裏界線(りかいせん) などなど(郊外にも見所はたくさんあります) 2~3時間あればじゅうぶん歩いて回れるとのこと。
飯田の市街地は天竜川の河岸段丘上にあってとにかく坂が多い。 中心部を少し外れると下り坂だらけ。
これが前述した裏界線。詳細はリンク先の説明に任せますが、 昭和22年の飯田大火を教訓にして、家の裏側に幅2mの通路が作られたとのこと。 路地裏スキーな私としては見逃すことができない名所です。
追手門小学校 鉄筋コンクリート3階建ての校舎で昭和4年の建築です。(登録有形文化財) 建物自体の装飾はシンプルながらも垂直線と円弧を対比させた東西両端の入口部分と 扉上部のアーチがオシャレです。
うーん、アルミ製の扉が残念。 この小学校には他にも文化財になっている講堂があります。 敷地外からちょこっと見えたのですが昨今の事情から見物は断念しました。
飯田市美術博物館の敷地内にある柳田國男館です。 建物が気になって近付いたら内部も公開しているということで早速見学。 中には女性の管理人がいて(元教師かな?)館内や柳田國男氏について解説して頂きました。 この建物は東京の成城にあった柳田國男の書屋で、当時の地名にちなんで「喜談書屋」と 名付けられました。柳田國男は飯田へ定住しませんでしたが、東京在住の旧飯田藩士の 養子になった縁で移築されたわけです。大きな書斎には柱が4本あり、 そこでお弟子さんなどと議論を深めたことから「民俗学の土俵」と呼ばれたとのこと。 また、豊橋の鬼祭りや奥三河から南信州にわたり各地で行われている花祭りなど 独自の文化圏が飯田線沿いにあり、柳田國男も度々飯田を訪れては講演をしていたそうです。 島崎藤村の「椰子の実」で間接的に知っているだけで、建物が見たくて偶然 訪問したのですが、ここの見学は一番の収穫だったかも。
Y字のビル。後で調べたら県の合同庁舎とのこと。 「スターハウス」と呼びたいところだけどよく考えたら団地じゃないですね。 そんなこんなで飯田の市街地をブラブラしながら飯田駅へ。 (りんご並木の写真を撮り忘れたっ) 各駅停車の旅なので早めに飯田を出発。
天竜峡あたりまでは賑やかだった車内も再び秘境区間へ入る頃には人影が疎らに。 平岡駅(写真)で学生達が降りると残ったのは旅行者とおぼしき4~5人だけ。 日没の早い山あいは既に真っ暗。 誰もいない場所を走る生活臭の消えた電車は「寂しい」なんて言葉で言い表せるものじゃないです。 秘境区間が終わると少しづつ乗客が増え、飯田を出発してから約4時間で豊橋に到着。 駅前のネオンを見た時のこの安心感は何なんでしょうね。
ということで、今回の旅を供にした切符がこれ。 ごくろうさまでした。 (おわり)
りんご畑(車内から撮影)
無事電車に乗り込み、飯田に着いたのは1時半頃。 今度は事前に時刻表をチェック。4時22分発の電車で帰ることにします。 駅の隣に観光案内所があるので2~3時間程で回れるコースをきいてみると ・飯田城址 ・りんご並木 ・裏界線(りかいせん) などなど(郊外にも見所はたくさんあります) 2~3時間あればじゅうぶん歩いて回れるとのこと。
飯田の市街地は天竜川の河岸段丘上にあってとにかく坂が多い。 中心部を少し外れると下り坂だらけ。
これが前述した裏界線。詳細はリンク先の説明に任せますが、 昭和22年の飯田大火を教訓にして、家の裏側に幅2mの通路が作られたとのこと。 路地裏スキーな私としては見逃すことができない名所です。
追手門小学校 鉄筋コンクリート3階建ての校舎で昭和4年の建築です。(登録有形文化財) 建物自体の装飾はシンプルながらも垂直線と円弧を対比させた東西両端の入口部分と 扉上部のアーチがオシャレです。
うーん、アルミ製の扉が残念。 この小学校には他にも文化財になっている講堂があります。 敷地外からちょこっと見えたのですが昨今の事情から見物は断念しました。
飯田市美術博物館の敷地内にある柳田國男館です。 建物が気になって近付いたら内部も公開しているということで早速見学。 中には女性の管理人がいて(元教師かな?)館内や柳田國男氏について解説して頂きました。 この建物は東京の成城にあった柳田國男の書屋で、当時の地名にちなんで「喜談書屋」と 名付けられました。柳田國男は飯田へ定住しませんでしたが、東京在住の旧飯田藩士の 養子になった縁で移築されたわけです。大きな書斎には柱が4本あり、 そこでお弟子さんなどと議論を深めたことから「民俗学の土俵」と呼ばれたとのこと。 また、豊橋の鬼祭りや奥三河から南信州にわたり各地で行われている花祭りなど 独自の文化圏が飯田線沿いにあり、柳田國男も度々飯田を訪れては講演をしていたそうです。 島崎藤村の「椰子の実」で間接的に知っているだけで、建物が見たくて偶然 訪問したのですが、ここの見学は一番の収穫だったかも。
Y字のビル。後で調べたら県の合同庁舎とのこと。 「スターハウス」と呼びたいところだけどよく考えたら団地じゃないですね。 そんなこんなで飯田の市街地をブラブラしながら飯田駅へ。 (りんご並木の写真を撮り忘れたっ) 各駅停車の旅なので早めに飯田を出発。
天竜峡あたりまでは賑やかだった車内も再び秘境区間へ入る頃には人影が疎らに。 平岡駅(写真)で学生達が降りると残ったのは旅行者とおぼしき4~5人だけ。 日没の早い山あいは既に真っ暗。 誰もいない場所を走る生活臭の消えた電車は「寂しい」なんて言葉で言い表せるものじゃないです。 秘境区間が終わると少しづつ乗客が増え、飯田を出発してから約4時間で豊橋に到着。 駅前のネオンを見た時のこの安心感は何なんでしょうね。
ということで、今回の旅を供にした切符がこれ。 ごくろうさまでした。 (おわり)
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